2011年11月05日 15:20  

OBライン

なかなか涼しくならない11月。
ただ夜だけは心地よく、秋の夜長をダラダラとひとり酒を飲みながら、
考え事と称した妄想を・・・自称「ひきこもり」の井上です 笑顔汗

人間の成長もしくは衰退過程を
●●期とか○○期とかの呼称で曖昧に呼ぶのだが、
何歳から何歳までが××期と決まっているわけではないので、
だれしもいつのまにかその時期を通過し、
そしていつかの最終地点に、じわじわとにじり寄りながら生きている。

新生児→乳児→幼児→小児→思春期→青年→
中年→壮年→熟年→初老→老人→ヨイヨイ→ドクロ

青年期には確かに抵抗のあった「おばちゃん」という呼び名。
そんな自分が自らを「おばちゃん」と初めて呼んだのが15年ほど前。
25歳ちょっと越えたくらいだったと思う。
息子の友だちからすれば当然「おばちゃん」であろうから、
素直に自然の流れに従ってきた。

が、しかし最近、
同じ歳頃の息子を持つお客さまが
「うちの息子に くそばばあ って言われちゃって、怒れちゃうー」って。
他人事ではない。

「ばばあ」とは、単に感情的になったときの呼び名のような気もするが、
一歩間違うと、いや間違えなくても、既に自分も「ばばあ」なのか、
「おばちゃん=O」と「ばばあ=B」の境界線は呼ぶ側からすればたいした差はないのか、
それとも朝鮮半島を南北に分ける38度線のように確固たるラインなのか?

このOBラインについて考えてる間にブログ更新が疎かになったのは、
最近この境界線がけっこうセンシティブかつ重要であったためである。
思えばクルマも地味に呼び名を変えつつ存在する。

最初はどれも新車→ときに新古車→
→中古車、ときに希少車、ときに高級車、ときに旧車、ときに愛車など→
→解体車→ドクロ

いつまでも新車と思いたい気持ちはわかるが、
残念ながら車はナンバープレートが付いた瞬間、中古車になる。
新車が道を走ることはない(と勝手に思っている)。
悲しい現実である。

OBラインについて、
例えばこんなとき「おばちゃん」「ばばあ」はどんな行動をし、
世間様からどんな風に見られるのか。

1. 早朝または深夜のウォーキング

   リハビリに見えたら「おばちゃん」、
   徘徊に見えたら「ばばあ」。

2. スーパーで「お一人様、2個まで」って書いてあって

   一度レジを済ませもう一度別レジに並んだら「おばちゃん」、
   連行した子供にも2個ずつ買わせたら「ばばあ」。

3. スッピンで

   別人に見えたら「おばちゃん」、
   妖怪に見えたら「ばばあ」。


秋の夜長を楽しみましょう。
気づいたらまた書きます。

   

このうどん、本題とは関係ありません。
昨日食べたカップうどん。侮れない。



Posted by 井上 美鹿
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